静岡地方裁判所 昭和61年(モ)208号 決定 1987年1月19日
申立人 小長井良浩
右訴訟代理人弁護士 前田知克
相手方 静岡県
右代表者知事 斉藤滋与史
右訴訟代理人弁護士 平井廣吉
同 高山幸夫
同 黒木辰芳
主文
相手方は、別紙(一)文書目録記載の文書を当裁判所に提出せよ。
理由
第一 申立人の本件申立の趣旨及び理由は、別紙(二)「文書提出命令申立書」及び別紙(三)「文書提出命令申立理由補充書」記載のとおりであり、これに対する相手方の意見は、別紙(四)「昭和六一年四月一七日付準備書面」及び別紙(五)「文書提出命令の申立に対する意見書(補充書)」記載のとおりである。
第二 当裁判所の判断
一 一件記録によれば、本件申立事件の本案たる損害賠償等請求事件の概要は、次のとおりである。
原告(本件申立人)は、本件相手方外四名(いずれも当時静岡県警察職員)を被告として、慰藉料並びに謝罪広告等を請求し、その原因として、被告らは、原告にかかる業務上横領被疑事件(原告が、業務上漆畑保から預り保管していた金六五〇万円より、昭和五二年一二月一三日大沢繁森に交付した金二〇〇万円を引いた差額金四五〇万円を横領した疑い)の捜査にあたり、昭和五七年九月七日三岡賢吉司法書士から事情聴取をし、原告の被疑事実を完全に否定する内容の供述を得て、同日付供述調書(以下「本件供述調書」ということがある。)を作成したにもかかわらず、その後も、漆畑保に対し、大沢繁森の虚偽の供述内容を開示して告訴をするよう誘導し、また、三岡賢吉司法書士に対しては、前記供述調書を破棄した旨虚偽の事実を告げて、前記供述を覆えし、原告の被疑事実を肯定する内容の供述をさせるなど、違法な捜査活動を継続し、さらに、昭和五七年一一月一三日右被疑事件を静岡地方検察庁検察官に送致するに際しては、ことさらに、原告の無罪を証明すべき本件供述調書を秘匿して送付せず、検察官をして事実無根の業務上横領容疑により原告を起訴させようとするとともに、報道機関に対しては、原告が約四五〇万円を着服横領した容疑が固まった旨断定した内容の発表をし、よって、原告の名誉信用を毀損するとともに、その社会生活・家庭生活・精神生活に甚大な不利益を蒙らせた、と主張している。
これに対して、被告らは、本件供述調書における三岡賢吉司法書士の供述こそ、内容の漠然としたものであるうえ、記憶違いに基づく疑いがあり、これを重視しなかった右被疑事件の捜査及び送致に違法のかどはない旨争うとともに、報道機関に対する発表については、捜査資料を総合評価すれば発表内容に見合う相当の嫌疑があったのであり、かつ、公共の利害に関する事実につき専ら公益を図る目的で行ったものであるから、仮に原告の名誉を毀損したとしても、違法性がない旨の抗弁を主張している。
二 さらに、一件記録によれば、以下の各事実を認めることができる。
1 原告は、訴状において、本件供述調書にふれ、その内容は、「原告事務所女子職員が、昭和五二年一二月一三日午後三時過、三岡賢吉司法書士事務所へ現金を持参し、同司法書士の面前で、大石幸男が現金百数十万円と引換えに根抵当権設定登記等の抹消登記に応じた。」との趣旨の記載を含み、原告の被疑事実を完全に否定し、無罪を証明すべきものと主張したのに対し、被告らは、昭和六一年二月一日付準備書面において、本件供述調書が作成されたことは認めるが、その内容は原告の主張と異なる旨の認否をしている。
2 原告が、昭和六一年二月二七日付求釈明書において、本件供述調書の内容及び本件供述調書を検察庁に送付しなかった理由を明らかにするよう求めたのに対し、被告らは、昭和六一年四月九日付準備書面において、本件供述調書の存在を認めたうえ、「本件供述調書における三岡司法書士の供述は、内容の漠然としたもので、右供述を得た後、関係人(特に三岡司法書士の妻)から事情を聴取したところ、三岡司法書士の右供述には記憶違いがあるのではないかと疑われるようになった。そこで、昭和五七年一一月五日及び同月七日の二回に亘って、再度事情聴取をしたところ、同人から、『漆畑保を登記権利者とする根抵当権の抹消登記手続を小長井弁護士から依頼され、その手続のために、男二人が私の事務所に来た記憶はあるが、金銭の受渡はそこで行われなかったと思う。』旨の供述が得られた。そして、時間的に後に得られた供述が他の関係証拠に照らして真実に合っていると判断されたので、本件供述調書は、これを検察庁に送付しなかった。」と主張している。
3 原告が、被告らの右主張に対し、昭和六一年四月一七日付求釈明書において、三岡司法書士の本件供述調書と同人の昭和五七年一一月五日付及び同月七日付の各供述調書とは、具体的にどの点で、どのように相違矛盾するのか、内容を明らかにするように求めたのに対し、被告らは、昭和六一年五月二四日付準備書面(二)及び(三)において、三岡司法書士の右三通の供述調書につき、供述の要旨をいずれもかなり詳細に主張している。
4 その後、被告らは、第八回口頭弁論期日において、三岡賢吉司法書士の昭和五七年一一月五日付及び同月七日付の各供述調書を含む多数の捜査資料を提出して書証の申出をし、また、第六回口頭弁論期日には、証人三岡賢吉の尋問を求め、その尋問事項書には、警察から参考人として事情聴取を受けた回数、供述内容及びその変化、第一回事情聴取を受けた際に供述調書は作成されたか、その供述調書はその後どのようにされたと聞いているか、等の事項が掲げられている。
三 そこで、まず、本件供述調書が民事訴訟法第三一二条第一号にいう引用文書にあたるか否かにつき検討するに、右条項にいう「当事者が訴訟に於て引用したる文書」とは、立法の趣旨及び規定の文言から、ひろく当事者が、訴訟を自己に有利に展開するため、その存在及び内容に言及した文書をいい、言及の目的が、主張を明瞭ならしめるためであると、立証のためであるとを問わないし、まして、言及者が現に当該文書を証拠として援用する意思を有することも必要としないものと解すべきである。けだし、当事者が、自ら所持する文書につき、訴訟を自己に有利に展開するため、その存在と内容に言及しながら、その文書自体を提出しないことは、訴訟当事者として不公正であるばかりでなく、裁判所の心証形成に事実上無用の制約を課するものというべく、かかる場合には、すべからく当該文書を開示せしめて、直接相手方と裁判所の批判にさらすのが公正妥当だからである。もっとも、当事者が訴訟において文書の存在と内容に言及した場合であっても、秘密保持の必要等から一切これにふれなかった当事者が、裁判所の求釈明に応じて、止むなく言及したに止まる場合など、もともとそれによって訴訟を有利に展開しようという意思がないときは、いまだ引用文書にはあたらないとみるのが相当である。
これを本件についてみると、既に認定した本件事案の概要及び訴訟追行の経過に徴すれば、被告らは、本件供述調書の存在及び内容につき詳細に言及しているところ、その記載内容は、原告主張の如きものではなく、漠然としているうえ、記憶違いに基づく疑いもあるとし、原告にかかる業務上横領被疑事件の捜査資料の中にあって、証明力及び信用性とも低いものであることを強調して、右被疑事件の捜査及び送致に違法のかどはなく、報道機関に対する発表にもそれ相当の嫌疑があった旨の被告らの主張を支える重要な根拠としているのであるから、右言及が本件訴訟を被告らに有利に展開するためになされたことは明かであって、被告らは本件訴訟において本件供述調書を引用したものというべきである。
相手方は、被告らが本件供述調書に言及したのは、原告の度重なる求釈明に答えたに過ぎず、被告らの側から具体的自発的に言及したものではないから、引用文書にはあたらない旨主張する。しかして、被告らが本件供述調書の要旨をかなり詳細に主張するに至ったのは、原告の求釈明に応じたためであること、既に認定したとおりである。しかしながら、そもそも本件供述調書の内容及び証拠価値如何は、本件訴訟における重要な争点のひとつであって、仮に原告から釈明を求められなくとも、いずれ被告らにおいてその主張を明確にするため言及せざるをえない状況にあったのであるから、かかる場合をもって、文書を引用して訴訟を有利に展開しようとする意思のない当事者が、裁判所の求釈明に応じて、止むなく言及したに止まる場合と同視することはできない。
四 次に、相手方は、刑事訴訟法上の守秘義務を根拠に、本件供述調書の提出義務はない旨主張する。
しかしながら、被告らは、既にみたとおり、本件訴訟を自己に有利に展開するため、本件供述調書の内容を詳細に引用しているうえ、三岡賢吉司法書士の昭和五七年一一月五日付及び同月七日付各供述調書を含む多数の捜査資料を提出して書証の申出をし、さらには、証人三岡賢吉の尋問を請求して、本件供述調書にも言及することを予定しているのであるから、原告にかかる業務上横領被疑事件については、既に捜査の密行性・秘密保持の必要性は、実質的に失われており、かかる状況のもとで、証拠調べのため本件供述調書を当裁判所に提出することは、それが右被疑事件の送致の際にも検察庁に送付されず、静岡県警察が自ら保管してきたものであることを考慮しても、なお刑事訴訟法第四七条但書にいう「公益上の必要その他の事由があって、相当と認められる場合」に該当するものというべきである。
仮に刑事事件記録を公にするか否かの判断が、相手方主張の如く、刑事手続の公正な運用という観点から、第一次的には、当該記録の保管者の裁量に委ねられるとしても、それは、適正迅速な民事裁判の実現等それ以外の公益上の必要にも十分配慮した、合理的なものでなければならず、また、文書提出命令の申立の採否にあたり、民事裁判所が守秘義務の範囲を具体的に画することを否定するものでないことも、多言を要しないところである。
したがって、相手方は、守秘義務あることを理由に、本件供述調書の提出を拒むことはできない。
五 更に、相手方は、原告と被告らとの間には、本件供述調書の存在及び内容について主張上有意的な差異はないこと、三岡司法書士が供述を変更した理由については、本件供述調書を書証として取調べるよりも、同人及び取調べ担当者に対する証人尋問によって明らかにする方が適切であること等の理由をあげて、本件文書提出命令の申立は必要性及び相当性を欠くと主張する。
しかしながら、既に明かにした本件事案の概要及び訴訟追行の経過に徴すれば、本件供述調書の記載内客及び証拠価値につき、当事者間に実質的な争いがあることは明白であり、この点を究明するため、三岡司法書士等を証人として尋問し、同人が供述を変更した理由を質すことも、勿論ひとつの方法ではありうるが、かかる方法があるからといって、直接本件供述調書を書証として取調べることの必要性と相当性がなくなるわけではない。ことに、本件供述調書の記載内容を知り、その証明力と信用性を吟味するためには、これを提出させてその内容を検討することが最も簡明直截であり、これを書証として取調べることなく、直ちに三岡司法書士の証人尋問に入れば、尋問が古く、かつ、微妙な事項(昭和五二年一二月ころに生起した出来事、昭和五七年九月から一一月にかけて何回かにわたり参考人として取調べられた際における各回の供述内容、その相互間の異同、その際における同人の記憶、供述を変更した理由、これらに関する現在の記憶等)にわたるため、無用の混乱が生ずるおそれがないとはいえない。
したがって、この点に関する相手方の主張も、また採用できない。
六 よって、本件申立は理由があるから、これを認容することとし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 佐久間重吉 裁判官 長嶺信榮 樋口英明)
<以下省略>